合格までの道のり 現役編
私個人の受験校決定のときことなどを書きます。
2015年(高校2年生の後半)
この頃は大学に行く意味がわからず、よく担任の先生に相談していました。
勉強から逃げていたのかもしれません。
当然のことながら志望校も決まっておらず、いろいろな大学を調べていました。
新振り制度のある東京大学を考えていた時期もありましたが、さすがに1年で行くのには、学力的に厳しいと思っていました。詳しい経緯はあまり覚えていませんが、この頃に初めて東工大の存在を知り、立地などの理由から志望し始めたのだと思います。
あとは、東京工業大学という文字がかっこいいと思ったのもあります。
2015年4月
最初の模試で東工大E判定をもらいましたが、そこまで危機感を感じませんでした。
というのも、それまで大学の志望校の欄に書いたことがないので、実際に、どのくらいの難易度なのかもよくわかっていなかったからです。
模試の判定は一向に変わらないものの、志望校変更はするつもりはありませんでした。
同年11月~12月
東工大模試を受けました。この模試では、レベルの差を痛感しました。数学と英語はそこそこ出来たものの、理科が全くできず、時間が余ってやることがなかったくらいです。E判定を覚悟していたものの、第2志望の7類ではC判定を取ることができて喜んだ記憶があります。
因みに、実戦を受けなかったのは、精神状態が悪くてキャンセルしたからです。
しかし、10月に受けたベネッセ記述と全統記述の成績は今までのよりも下がっており、かなりがっかりしました。学校のほうでは、この2つの模試の結果を考慮して受験校を考えるよう指示されていたので、東工大受験を諦めようと思っていました。
全統記述でもだいたいB,C判定は取れていて、冠模試でも手ごたえがなかったのにA,B判定だった東北大を受験することを考えていました。しかし、それは期間にして2〜3週間ほどでした。
一度はあきらめたものの、どうしても東工大を受験したいという気持ちが再燃したのです。
たとえ不合格であっても、受験しなかったら後悔することになると思っていたのです。
しかし、この時はまだ浪人について考えたことはありませんでした。
2016年1月
ということで、東工大受験を再決心してからはというと、センター試験の勉強はろくすぽやらずに、わかりもしない過去問と日々格闘をしておりました。そして迎えたセンター試験では、当然のごとく出来は散々でした。東工大はセンター試験を足切りにしか利用しないものの、家族や学校の先生から相当心配されました。しかし、周りの反対や助言に一切耳を傾けず、東工大受験を決意しました。
この頃には、さすがに不合格だったときのことを考えなければなりません。浪人することもかすかに頭をよぎりました。東工大一本の道を進むべく、併願先として選んだのは、東京理科大ただ一つでした。こちらは、学校の方針上受けざるを得ませんでした。試験に慣れるためでもありましたが。
センター試験後も、闇雲に解けるはずのない過去問をやっては、解答を眺めていました。
圧倒的な力不足を感じていました。にもかかわらず、東工大模試の解き直しをするとA判定ラインは超えそうだったので、なぜだか合格する自信も少しはありました。
そうこうしているうちに、あっという間に一発目の入試日がやってきました。出来は散々。数学の時点で不合格を確信するほどでした。
しかし、国立入試まじかになって知らされたその結果は合格。あまりにも予想外なことにとても喜びました。
このときは、気持ちが揺らいでしまい、東工大がダメだったらここに入れさせてもらうようお願いするつもりでした。そういうつもりで受けさせたわけではないと、すぐに却下されてしまいましたが…。そして、間もなくして東工大の入試日となってしまいました。数学の試験中は、自分がここにいてもいいのだろうかと思ってしまうほどで、自分が場違いなのではないかと感じました。
物理にいたっては、そこそこ練習を積んできたのにもかかわらず、解答用紙がほぼ真っ白な状態でした。合否結果は目に見えていたので、浪人を決意し受験ブログを立ち上げました。
これにて現役編は終了です。
2015年(高校2年生の後半)
この頃は大学に行く意味がわからず、よく担任の先生に相談していました。
勉強から逃げていたのかもしれません。
当然のことながら志望校も決まっておらず、いろいろな大学を調べていました。
新振り制度のある東京大学を考えていた時期もありましたが、さすがに1年で行くのには、学力的に厳しいと思っていました。詳しい経緯はあまり覚えていませんが、この頃に初めて東工大の存在を知り、立地などの理由から志望し始めたのだと思います。
あとは、東京工業大学という文字がかっこいいと思ったのもあります。
2015年4月
最初の模試で東工大E判定をもらいましたが、そこまで危機感を感じませんでした。
というのも、それまで大学の志望校の欄に書いたことがないので、実際に、どのくらいの難易度なのかもよくわかっていなかったからです。
模試の判定は一向に変わらないものの、志望校変更はするつもりはありませんでした。
同年11月~12月
東工大模試を受けました。この模試では、レベルの差を痛感しました。数学と英語はそこそこ出来たものの、理科が全くできず、時間が余ってやることがなかったくらいです。E判定を覚悟していたものの、第2志望の7類ではC判定を取ることができて喜んだ記憶があります。
因みに、実戦を受けなかったのは、精神状態が悪くてキャンセルしたからです。
しかし、10月に受けたベネッセ記述と全統記述の成績は今までのよりも下がっており、かなりがっかりしました。学校のほうでは、この2つの模試の結果を考慮して受験校を考えるよう指示されていたので、東工大受験を諦めようと思っていました。
全統記述でもだいたいB,C判定は取れていて、冠模試でも手ごたえがなかったのにA,B判定だった東北大を受験することを考えていました。しかし、それは期間にして2〜3週間ほどでした。
一度はあきらめたものの、どうしても東工大を受験したいという気持ちが再燃したのです。
たとえ不合格であっても、受験しなかったら後悔することになると思っていたのです。
しかし、この時はまだ浪人について考えたことはありませんでした。
2016年1月
ということで、東工大受験を再決心してからはというと、センター試験の勉強はろくすぽやらずに、わかりもしない過去問と日々格闘をしておりました。そして迎えたセンター試験では、当然のごとく出来は散々でした。東工大はセンター試験を足切りにしか利用しないものの、家族や学校の先生から相当心配されました。しかし、周りの反対や助言に一切耳を傾けず、東工大受験を決意しました。
この頃には、さすがに不合格だったときのことを考えなければなりません。浪人することもかすかに頭をよぎりました。東工大一本の道を進むべく、併願先として選んだのは、東京理科大ただ一つでした。こちらは、学校の方針上受けざるを得ませんでした。試験に慣れるためでもありましたが。
センター試験後も、闇雲に解けるはずのない過去問をやっては、解答を眺めていました。
圧倒的な力不足を感じていました。にもかかわらず、東工大模試の解き直しをするとA判定ラインは超えそうだったので、なぜだか合格する自信も少しはありました。
そうこうしているうちに、あっという間に一発目の入試日がやってきました。出来は散々。数学の時点で不合格を確信するほどでした。
しかし、国立入試まじかになって知らされたその結果は合格。あまりにも予想外なことにとても喜びました。
このときは、気持ちが揺らいでしまい、東工大がダメだったらここに入れさせてもらうようお願いするつもりでした。そういうつもりで受けさせたわけではないと、すぐに却下されてしまいましたが…。そして、間もなくして東工大の入試日となってしまいました。数学の試験中は、自分がここにいてもいいのだろうかと思ってしまうほどで、自分が場違いなのではないかと感じました。
物理にいたっては、そこそこ練習を積んできたのにもかかわらず、解答用紙がほぼ真っ白な状態でした。合否結果は目に見えていたので、浪人を決意し受験ブログを立ち上げました。
これにて現役編は終了です。
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